ただ静かに暮らしたい

匿名っていいね

小賢しい女の話

 

昨年末は逃げ恥ブームで私もすごくハマっていた。

 

~ロスって言葉はあまり好きではないけれど、確実に逃げ恥ロスになっていた。

 

天使なガッキーはもちろん可愛くて、みくり役では妄想シーンのコスプレやコロコロ変わる表情が魅力的だったし、話数を重ねるごとに星野源の可愛さにも気づいてしまった。

あのサイズ感、服装、温和な性格がたまらない。可愛いが溢れていた。

 

そうか、Wヒロインか・・・と勝手に解釈して毎週楽しみにしていたし、1回では飽き足らず次週の放送までに何度も録画を見返すほどだった。

 

ただ可愛いだけで見ていた訳ではなくて、ひとりひとりが心の奥底に抱えている不安や、燻らせている闇などのネガティブな部分がすごくリアルで突き刺さった。

 

特にみくりが自分の小賢しさに嫌悪感を抱きながらもどうする事も出来ずに塞ぎ込んだり、自暴自棄になって爆発した姿にとても共感した。

まあ、客観的に見てどんだけめんどくさい性格してるんだって落ち込んだりもしたけど。

 

誰かに嫌われたくなくて、認めてほしくて、もがいて、苦しんで、ドラマの題材とは少しズレるが言いたいことは一緒だった。

 

でもそんなみくりの小賢しい女という呪いを「今更です」と一言で解いた平匡さんの包容力ハンパない。

 

散々みくりが平匡さんの心のドアをノックし続けた結果でもあるが、一番欲しかった言葉で受け止めてくれる姿勢が素晴らしい。

 

そしてうらやましすぎた。

 

全然自分を変えようとしないところが本当にダメな奴なんだけど、多少努力するから平匡さんみたいな人に出会えるよう祈るんだ。

 

 

 

 

祖父と夢の話

 

私は毎日のように夢を見る。

 

人間は必ず毎晩夢を見ているが覚えていない事がほとんどだと聞いたことがある。

 

確かに起床から時間が経つと夢の内容の大半は忘れてしまうが、「今日はどんな夢だった」と布団から出る前に思い返すのが日課になるほど毎日見るのだ。

 

 

特に私は亡くなった祖父の夢をよく見る。

亡くなった祖父は二世帯で共に暮らしていて、初孫ということもあり随分と可愛がってもらっていた。

父方母方共に祖父母健在だったので、近しい親族を亡くした事が初めてだった私の心のダメージはかなりのものだった。

7年も経過するがまだ心に引っ掛かりがあるのかもしれない。

 

 

祖父は友人と山登りに出かけ山中で倒れてそのまま帰らぬ人となった。

病気もしておらず自分でもまさか死ぬとは思わなかっただろう。

病院に運ばれた時点で心肺停止状態だったが、私たち家族には「病院に運ばれた」とだけしか伝えられていなかった為、病室で変わり果てた姿と対面した時は膝から崩れ落ちた。

あまりにも突然で何が何だか理解出来なかった。

 

祖父は生前から冗談交じりに「俺は人に迷惑をかけないようにポックリ逝くんだ」と話していたが本当にそうなってしまった。

 

 

 

初めて見た祖父の夢は今でも思い出すだけで怖い。

亡くなった翌日に居間で祖父が上半身裸で仰向けで横になり「まだ死ぬ心の準備が出来ていない」と涙を流しながら呟いた。

私は隣で「大丈夫だよ」と声をかけていた。

ところが母は「早く行く準備をしないといけないから」と祖父を早くそちらの世界に送ろうと慌てふためいていて「祖父が可哀想だ」と抗議をしても準備をやめない。

「あと3日待ってほしい、そうしたら心の準備が出来るから」と呟いた場面で目が覚めた。

突然帰らぬ人となった祖父の状況と心情が伺えるあまりにリアルな夢で、起きてから家族に話すと皆怖がっていた。

 

 

幼い頃から車で色んな所に連れて行ってくれて、

中学校時代は塾、高校時代はバイト先までよく送ってくれた。

学校の終わる時間が遅くなって間に合わなそうだと察知すると、帰宅してすぐ向かえるように車のエンジンをかけて待っていてくれたり今思えば超過保護。

両親よりも私のスケジュールを把握してくれていた。

妹もいるのだがそこまで祖父と仲が良くなく、私の独り占め状態だった。

 

 

私は亡くなる直前のお正月に「20歳になるまでに車の免許を取ったほうが良いから」と30万を渡されその資金で自動車学校に通わせてもらったいた。

次に見た祖父の夢は亡くなった3か月後、車の免許を取得した日だ。

祖父が私を車に乗せてドライブに出かけていた。車を運転しながら私に「もうおじいちゃんはお前を乗せてあげられない。安全運転で気を付けるんだよ」と言われて泣きながら目が覚めた。母に話すと「よっぽどあんたのことが心配だったんだね」と泣いていた。

 

 

亡くなったのが5月で、その春から都内に進学をしたので祖父と過ごす時間はかなり減っていた。

自動車学校へもなかなか通えない時期もあり取得期間ギリギリでの合格だった。

私は心の中で「取得したら祖父を車に乗せて出かけよう」とずっと考えていたので亡くなってから「もっと早く取得出来ていたら乗せてあげられたのに」と悔やんでも悔やんでも悔やみきれない気持ちだった。

だからこそ夢の中でも私を心配してくれる祖父に涙が止まらなかった。

今でも申し訳なかったと思っている。

 

例を挙げて2つの夢を出したが他にも沢山見ている。

夢の中で祖父も私も祖父が亡くなった事をきちんと理解した上で会話が成り立っているのが不思議。

「元気にしてるかと」聞いて「楽しくやってるよ」など。

 

きっと祖父を亡くした心の傷が癒えていなくて、無意識に祖父の事を思い、それが夢として表れていると理解してはいるが毎回メッセージ性が強くて考えさせられる。

 

また一つの法則として夢の中で毎回母には祖父の姿が見えない。

そして母は祖父の夢を見ない。

私が祖父の手を引いて「ほらおじいちゃんここにいるよ」と伝えても見えない。

私には見えて触れるのに自分の父親なのに何故なのか。本当は二人の仲に何か確執でもあったのではないかと睨んでいる。

 

なんだかスピリチュアルで胡散臭い記事になってしまったが、すべて本当の事だ。

決してメンヘラとかではない・・・

 

 

めんどくさい性格の話

 

美容院にて

「彼氏いるんですか?」「どんなお仕事されてるんですか?」とプライベートな話を根掘り葉掘り聞いてくるスタイリストが苦手。

だからと言って自分の話を永遠にしてくるのも反応に困って嫌。

話を振られたくないから用意してくれた雑誌をペラペラめくって過ごすんだけど、後ろから覗き込んで「これ可愛いですよね~」とか「こういうの好きなんですか?」と必死に話題提供されちゃうと「ああ、はいそうですね」と興味ないのに答えてしまう。

携帯をいじるのも態度が悪い気がするし、カットやカラーをしている手元を凝視するのもいかがなものかと考えて落ち着かない。

 

エステやマッサージにて

疲れを取るために、癒しを求めてきたのにこれまたベラベラ話しかけてくる施術者も苦手。ヒーリングミュージックを流すなら少しくらい黙って静かな時間を過ごさせて欲しい。

担当者がコロコロ変わってその都度同じ質問をしてくるのもやめてくれ。

カルテに共有事項として載せておいてくれ。

 

洋服屋にて

少し気になってチラッと覗いただけなのに「何をお探しですか?」と声をかけないで欲しい。気になったら自分で声をかけるから。

良いと思っても値札見て諦めることだってあるんだから。

「予算オーバーなのでやめておきます」なんて恥ずかしくて言えないもの。

パパッと試着して出てきたら「もうお済みですか、見たかったのに」とか言わないで。

どうせ「お似合いですよ」なの知ってるから。そういうのいいから。

 

歯医者にて

治療中に唾液が溜まってるのに一向にバキュームしてくれないと不安になる。

このままだと息が出来ない。鼻呼吸は口を大きく開けているから鼻息が荒くなってしまう。

薬剤を含んだ唾液を飲み込むには抵抗があるし、飲み込んで「うわ~こいつ飲み込んだよ」って思われたくない。

咳が出そうだけど口を開けた状態で咳をしたら噎せてしまうかもしれない。そんな事を考えているとどんどん噎せる気しかしなくなって変な汗が出る。

 

 

セールストークだったり、こっちの事を気遣っての対応だということは知っている。

ホスピタリティは自分もサービス業だから分かってはいるし、むしろ似たような事をしてしまっているんだけどいざ自分が受ける側になるとお節介や有難迷惑に感じたりする。

 

「おもてなし」って何だろうと考える。

 

美容院やエステなどの初回カルテに接客について「話しかけないでほしい」という項目にチェックが付けられるのは画期的なシステムだと思ったけど、案外チェックを付けているのにも関わらず・・・な事が多い。

 

至近距離で無言もなかなかしんどいもんね。

 

根本で嫌われたくないとか変な奴って思われたくないとかいう心配性がネガティブな自意識過剰にさせる。

自分が思ってる以上に他人は自分の事なんて興味ないのに。

結局苦手でも嫌でも相手は仕事でやっている事を分かっているから合わせてしまって気の遣い合いが生まれたりする。

 

自分がつくづく嫌になるんだけど、今日そんな話に大いに共感してくれる先輩がいて、二人で爆笑しながら語りあっちゃったw

 

 

生きづらい世の中

 

私は急に文章を書きたくなる時がある。

 

けど書き残すスペースがないからここに登録してみた。

 

ツイッターでも良いんだけど文字制限があるし、

そのとき思ったことを軽い気持ちで呟いただけなのに、

「どうしたの」と心配するリプが飛んできたりする。

「ああ、書かなきゃ良かった、めんどくさい」

そうやって次第に呟かなくなる。

 

フェイスブックもそう。

何年も連絡を取っていなかった旧友から友達申請が来て、本当は承認したくないのだけど、拒否するのも角が立つから仕方がなく承認する。

時代遅れも甚だしいと思うけど田舎特有の閉鎖的なところがあって友情仲間家族マイホーミー!みたいなかゆくなることをまだしているからニガテ。

学校のカースト上位だった派手な人たちが何にもない田舎町に残ってる。

いわゆるマイルドヤンキーってやつ?

「誰が結婚した」だとか「どこどこの会社に勤めている」だとかくっだらない話で盛り上がり定期的に集まっているんだとか。しょうもない。

そんな人たちが使っているSNSに自分の情報を公表するのは自殺行為だろ。

 

 

 

 

そんなこんなでココに思ったことを書くという運びになったわけです。